『若者がつくるこれからの多文化共生』かめのりフォーラム2025ゲストスピーチ 一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事 田村太郎氏
2025.02.05
2025年1月10日に行った「かめのりフォーラム2025」では、一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事 田村太郎様にご講演いただきました。講演の様子をダイジェストでご紹介します。
執筆:近藤圭子
一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事 田村太郎様
阪神・淡路大震災で生まれた、多文化共生の概念
今日は、若い方たちに向けてお話ししたいと思います。
私が若者だった頃の話です。高校3年生の時にベルリンの壁が崩壊し、私は大学受験を止めて、現地に行くことにしました。お金を貯め、シベリア鉄道でモスクワを経由してベルリンを目指す、陸路の旅です。そして、ベルリンからアルジェリア、ニジェールへ。一度帰国して再びアフリカと南米をめぐる旅に出ました。
当時の私は海外の課題にばかり関心がありました。ところが南米から帰国して数日後、「フィリピン人向けレンタルビデオ店をやらないか」との誘いがあったのです。これが、日本で暮らす外国人の課題との初めての接点でした。口コミが広がり、全国のフィリピン人から電話注文を受けて宅配便でビデオを送る事業が、軌道に乗りました。
1995年に阪神・淡路大震災が起きると、フィリピン人から相談の電話が続きました。震災の2日後に通訳を手配し、7言語での相談対応を開始。電話は鳴りやまない上に、相談が深刻になっていきました。そこで、同年10月に「多文化共生センター」を立ち上げることにしたのです。
私たちは外国人と一緒に活動していましたし、外国人は震災で亡くなってもいます。ですから、「外国人支援」ではなく、「多文化共生」という言葉を掲げました。今や広く使われるようになりましたが、震災の辛い経験に基づく思いを込めた言葉です。その後、2007年に設立した「ダイバーシティ研究所」では、外国人に限らず様々な人との共生に取り組んでいます。2011年の東日本大震災以降は、災害時の被災者支援のコーディネーションにも力を入れてきました。
多様化するニーズと多文化共生の人材不足
日本における外国人は今、国籍、在留資格、経済状況、年代など、急速に多様化しています。それに伴い、外国人の困りごとも多様化し、熟練したプロによる丁寧な対応が必要になっています。一方で、日本は多文化共生をボランティアに頼り、人材を育ててきませんでした。専業主婦の減少や定年延長などでボランティアも減少し、地域で日本語教育や通訳・翻訳に携わる人材はますます不足しています。
多文化共生分野の人材不足は、大きな課題です。日本は、アジアの他国と競って人を呼び込まないといけない段階にきているからです。
世界の人口は全体的に増加傾向ですが、すべての国や地域で人が増えるのではなく、減っていく国や地域もあります。かといって、増える地域から減る地域に、自然に人が移動するわけではありません。人を押し出す力(プッシュ要因)と人を引き寄せる力(プル要因)のバランスで、人は移動していきます。
アジア各国は経済成長により、プッシュ要因が減少し、逆にプル要因の影響が増してきました。アジアの自治体は、その国の言葉を外国人に教えることと多言語の情報提供を強化し、人を呼び込んでいます。日本にとっても必要なことですが、人材が足りません。
寛容な多文化共生社会を若者の力で
ヨーロッパに目を向けると、「ヨーロッパの多文化共生は失敗したのではないか」と言われますが、失敗したと評価されているのは、言語教育をしないいわば「ほったらかしの多文化主義」です。現在は、移民に言語教育の機会を保障する「インターカルチュラルポリシー」が主流になっています。また、移民ルーツの当事者による支援団体に行政が委託し、言語教育や生活支援をしています。日本ではまだ根付いていませんが必要な施策でしょう。
これからは、多文化共生を支える仕組みを、職業として確立することが欠かせません。外国人支援に反発する意見もありますが、多文化共生の推進は「外国人のため」ではなく「地域の未来のため」に行うものです。これからは自由で居心地の良い地域に人は移動していきます。ちがいを受け入れ、外国人も日本人もお互いが変わっていく、寛容のまなざしのある地域づくりが必要です。多文化共生社会を若い人たちの力で実現してもらえるよう、これからも応援していきたい。今日のフォーラムでその思いを新たにしました。