【抄録】第3回 地方都市における新しい国際交流・多文化共生事例/高齢化・人口減少の加速化に備える持続可能な地域づくりと、 国際交流・多文化共生のこれから 連続セミナー2024
2024.07.18
(公財)かめのり財団は、連続セミナー2024の第3回「地方都市における新しい国際交流・多文化共生事例」を、2024年7月1日(月)、オンラインで開催しました。菅原 渉 氏(菅原工業)、山口 ちえ 氏(東川日本語学校 多文化共生室)をお招きし、川北 秀人氏(IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所])の進行で、お話を伺いました。
前回(第2回)では、地域で暮らす外国人をどのように支援し、共生していくか、豊島区と那覇市の取り組み事例を伺いました。本日は、地方都市での多文化共生の活動事例をご紹介いただきます。活発な意見交換の場となることを期待いたします。
人口密度が低い地域では、地域の強みや地域の産業を、住民が自ら作り育てることが不可欠です。日本人が減り続けるなかで、外国人が地域の担い手として活躍できる形をどのように作ってきたのか、お二方から伺いたいと思います。
菅原工業は、宮城県気仙沼市で建設業・運送業を営んでいます。従業員は48名で、5名の外国人技能実習生と1名の特定技能の方が在籍しています。東日本大震災で気仙沼は大きな被害を受け、当社も社屋をすべて失いました。現在は、コーポレートスローガン「このまちをつくる」を掲げ、事業を通じた「ひと」「文化」「産業」の循環を目指しています。
コーポレートスローガン「このまちをつくる」のもと、「企業・地域の課題を海外とつながることで解決し、地域の当たり前の日常を提供し、未来への道を作る企業です」としている |
気仙沼市は人口減が深刻で、建設業も慢性的な人手不足に陥っています。加えて震災後は、復興工事の需要が増加。人手を必要とするものの、復興需要はいずれなくなることを考えると、雇いたくても雇えない状況でした。そこで当社は2014年から、インドネシア人技能実習生の受け入れを開始しました。そして、技能実習終了後にインドネシアで働いてもらえるよう、2015年にインドネシアに合弁会社を設立。2016年にはインドネシア初のリサイクルアスファルトプラントを建設しました。
気仙沼はもともとインドネシアとの関係が深い街です。水産加工業などに従事するインドネシア人技能実習生が約280名、時期によっては約500名にもなります。気仙沼商工会議所青年部が地域のお祭りでインドネシアパレードを実施するほか、東日本大震災時もインドネシアから支援金をいただくなどしており、進出するならインドネシアと決めていました。
2014年にインドネシアからの技能実習生の受け入れ開始。その後、インドネシアに合弁会社やプラントを設立し、技能実習終了後に母国で働いてもらえる環境を整えた |
インドネシアと気仙沼はかねてから縁が深く、進出するならインドネシアと決めていた |
インドネシア人はイスラム教徒が多く、ハラルフードやお祈りの場が求められていました。そこで当社は、インドネシア料理店を作り、ムショラと呼ばれる祈祷所を併設しました。これによって目指したのは、彼らの課題を解決すると同時に、気仙沼を「日本で一番インドネシアと交流がある街」にすることでした。
インドネシアは経済成長が著しく、インドネシア国内でも稼げるようになってきています。そのようななか、気仙沼の産業を支えているインドネシア人は、これからも気仙沼に来てくれるでしょうか。選ばれる街になるために、地域の皆さんとともに取り組んでいます。
菅原工業はインドネシア料理店をオープン。祈祷所であるムショラを併設した |
主に行っているのは、食を通じた文化交流です。あるワークショップでは、技能実習生と、受入企業の役員や社員が参加し、社内での関係づくりにつながりました。また中学生向けに、気仙沼の食材でインドネシア料理のメニュー開発をする企画を行いました。開発過程で中学生たちは、豚肉やアルコールを摂らないインドネシア人が食に困っていることを知り、「食のほかにも苦労していることがあるのでは?」と気づいたそうです。彼らは、後日、ごみの分別表をインドネシア語で作り、当社に届けてくれました。
インドネシア人と中学生が一緒に活動し、気仙沼の食材を使って、インドネシア料理のメニューを開発 |
これからも、インドネシアと地元の人をつなぐ役割を担っていきたいと思っています。まずは異国の文化を知り、認め、受け入れるところまで進んで初めて、多文化共生社会はつくられます。相手を知ることで価値観のギャップを埋める手法は、世代や性別のギャップの解消にも応用できると考えています。
東川町は、北海道のほぼ中央に位置する町です。人口は約8500人で、うち約500人が外国人です。近年は日本人の移住者も増えています。東川町では、写真を通じた高校生の国際交流やJETプログラムの活用、姉妹都市交流、外国人介護人材育成事業など、海外交流を活発に行ってきました。
多様な国際交流事業の一つが、日本語教育事業です。東川町では2009年から、短期日本語・日本文化研修事業を始めましたが、修了生から「日本でもっと日本語を学びたい」という声がありました。町内にある旭川福祉専門学校にも日本語学科がありますが、こちらは1年半~2年のコースですので、もう少し短いコースが欲しいという要望もありました。そこで、廃校になった東川小学校の校舎を活用し、全国初の公立日本語学校として開校したのが、東川町立東川日本語学校です。
東川町立東川日本語学校は、全国初の公立日本語学校 |
学校では、課外活動や地域住民との交流を重視し、日本語だけでなく、文化や北海道の自然も学んでいます。在籍する学生の多くは、母国で四年制大学を卒業しています。男女比では女性が、そして20代が多いです。台湾や中国からの学生は、社会人経験がある方が多く、30~50代の方もいます。募集に際しては、東川町の海外事務所を通じ、東川町の気候や生活について事前にお伝えしています。
タイ、台湾、中国、インドネシアなどから、これまでに679名が入学 |
留学生のサポートは、東川日本語学校の設立当初、町民の方々が担ってくださっていました。ご自宅に呼んでくださったり観光地に連れて行ったりと、交流を通じて留学生のニーズを把握できていたと思います。次第に、就職の相談など町民では対応できないことが増え、2019年に多文化共生室を開設しました。
多文化共生室では、外国人の相談窓口や、イベントの企画運営、就職支援、企業や自治体との連携、留学生や企業向けの情報発信を行っています。2023年12月には、岐阜県高山市と連携協定を締結し、オンライン企業説明会を実施しました。市全体で留学生を迎える体制を整えてくださり、昨年は7名の学生が高山の企業に就職していきました。
多文化共生室では、留学生・町内で働く外国人等に向けた相談窓口、文化体験のイベントや町民との交流促進、就職支援などを行っている |
多文化共生室で行うイベントは、自律へのきっかけづくりだと考えています。参加人数は5名程度にするなど、小さいイベントをたくさん作って、町民と留学生が個人的に交流できることを目指しています。
多文化共生室ニュースレターでは学生記者が日本語で記事を書いており、町内に回覧板で回しています。広報クラブでは、インスタグラムのリール動画を学生と一緒に制作しています。企業からは「外国人に情報発信を担当してほしい」というニーズが高く、実際に学校での経験を経て、即戦力として活躍している卒業生もいます。
町内外のサークル等から、外国人と交流したいという声も。多文化共生室ではサークル等による企画を支援している |
東川町にいる外国人の在留資格は、留学が約300名、特定技能・技能実習が約100名、技術・人文知識・国際業務が50名弱です。多文化共生室としては、特定技能・技能実習などの層と交流が少ないのですが、受入企業向けにイベントや相談事業の案内などをしています。
今後、外国人留学生が街に滞在することで、街に利益が生まれるしくみを構築していきます。現在、IC式ポイントカードを活用し、留学生に毎月8千ポイントが付与されています。町内の飲食店やスーパーで利用できるので、留学生の姿が町民に見えるようになり、町民の受け入れ態勢も整ってきたのではないかと思います。
産業振興のためのHUC(ひがしかわユニバーサルカード)を活用し、毎月8千ポイントを留学生に付与。ポイントは町内の店舗で使える |
川北:言葉も環境も異なるなか、インドネシア人技能実習生に技能を習得してもらうために、どのような工夫をしましたか。
菅原:特に目立ったことはしていません。初めての受け入れ時は、インドネシア語の掲示物を作るなどしましたが、構えすぎて、コミュニケーションをしづらかったと思います。「一従業員がたまたまインドネシア人だった」というスタンスになったら、中堅社員がよく面倒を見てくれるようになりました。日本人に対する面倒見もよくなり、非常に良い効果がありました。また、実習生には面接時に「帰国後に何をしたいか」を重点的に聞き、働く目的がある人を採用するようにしています。働く目的がある人は成長スピードが速いです。
川北:留学生が東川町内に就職し、定住すると、地域は共生のメリットをより感じるようになります。町内での就職にどのように結びつけていますか。
山口:留学生に町内に残ってもらうことより、優秀な留学生を全国に輩出し、関係人口が増えることを期待しています。実際、お母さんに続いて子どもが東川町に留学し、近隣で就職した例がありました。一方、町の人材不足も深刻ですが、人手が必要な職種と在留資格がマッチしないことが課題です。外国人材受け入れの制度が変わる今、転換期になっていると感じます。
最後に、5年後・10年後に向けて、菅原さんは「インドネシアで新たなチャレンジが生まれ、日本に逆輸入するしくみを模索していく。人も技術も循環していく形を作っていきたい」、山口さんは「外国人同士のコミュニティから、新たなビジネスが東川に生まれることを期待したい。将来の雇用創出につながる」と話しました。
抄録執筆:近藤圭子